私は、作文が苦手でした。正確には今も苦手です。
学習障害でも「作文が苦手」というような特性もあるようですが、
私の場合、作文に苦手意識を持ってしまうきっかけのような体験が、いくつか思い当たることがあるので、私の場合「作文が苦手」なのが学習障害の影響なのか、まったく別の経験からくるものなのか悩ましいところです。
今日は、そんな私の「作文が苦手」な理由として思い当たるものをいくつか説明したいと思います。
まず最初に小学校一年の頃だったと思います
第一の理由
アリさんの考えていることがわからなかった
何の話だって話ですよね。
教科書に載っていた文章だったのか、他の物語だったのか忘れましたが、
何かの物語を読んだか聞いたかした後に
「この時のアリさんの気持ちを作文にしてみましょう!」
的な課題があり、私は正直に
「僕はアリさんじゃないから、考えてることなんてわからない」
と正直に書いたんですが、
先生に呼び出され理由を聞かれたので
「○○君は野球が好きだからバット貰ったら嬉しいだろうけど、●●ちゃんはきっとバット貰っても嬉しくない。男の子と女の子でもこんなに違うんだから、アリさんの気持ちなんてわからない」
と、これまた正直に説明したんですが
「屁理屈言ってんじゃないの!」
とエライ剣幕で説教されました。
説教され泣きながら思ったのは「皆すげぇ!」「他のみんなはアリさんの考えてることわかるんだ」って周囲への尊敬と自分が落ちこぼれだという劣等感を人生で最初に味わった瞬間だったかなと思います。
第2の理由として
「僕は」から書きはじめてはいけないと思いこんでしまった
この2つ目の理由は、自分がひねくれていたというか、不幸な事故だったというか…
前述の理由からか、書字障害の影響で文字を書きたくないせいか、その頃には既に作文が大嫌いだったんですが対策として、原稿用紙に「題名」「名前」「ぼくは」の書き出しだけ、とりあえず書いてみるということをしていました。
原稿用紙が真っ白のままより、それだけでも書いたほうが、その先が書ける気がしたのです。
そんな低学年の頃ですが、先生から作文について
「H.W君の作文はいつも『僕は』から始まるね」
といわれたことがあります。
どんな話から作文の話になったのか、どこで言われたのか、その後、どんな言葉が続いたのかは全く憶えていません。
ひょっとしたら情景から入ったほうが良い作文になるよというようなアドバイスだったかも知れません。
とても優しい声色で言われたのを覚えているので、きっとアドバイスだったのだと思います。
しかし、当時の私は『「ぼくは」から書いちゃいけないんだ』と受け止めてしまった。
なんでそんな受け止めとなってしまったのか自分でも不思議ですが、そう受け取ったという記憶だけはあります。
そして「ぼくは」から書いちゃいけないと思い込んでしまった私は、更に作文を書くことが苦手になって行きます。
第三の理由
環境破壊についての作文
もう、前2つの理由だけで、作文は、堂々の逃げ出したいこと第一位だし、既にこの頃は自分が周囲と比較して書字に遅れがあること自覚してたしで、書くのが嫌だったんですが、
小学校3年か4年の時に環境破壊についての授業があって、その感想文を書きなさいと言われたんですよ。
作文嫌いだし何書けばいいかわからないしって自分ですが、このときは違いました。
なるほど、今回はよく分かった書くこともできる!自信満々で
「人間がいなくなれば空気も水も土地も汚れなくなる」
ということを延々書き連ねたんですよね。
当然というか、やっぱりというか先生に呼び出し食らって大目玉ですよ。
もうなんて言って説教されたかも覚えてないですけど、長々説教されたとだけ覚えてます。
今でこそ面白がって屁理屈言ってると思われたんだろうなーってのは思いますが、当時は、何で怒られてるのかすら理解できてませんでしたからねー
以上の理由で、自分の考えを文章にまとめるのに抵抗を感じています
まぁ、これ書いてて思うのは、よくブログ始めたよなーと自分で思いますけど、流石に40過ぎてるんで小学校時代の嫌な体験もやっと薄れてきたのかもなーと思ったりします。
以上、誰の得にもならない備忘録にお付き合いくださり有難うございます。