英語の苦い思い出

中学に上がる時、英語という科目が始まることを当時の自分はチャンスだと捉えていました。

小学校では全教科で落ちこぼれていたけども、新しく始まる強化なら遅れを取り戻す必要もなく、周りと同じスタートラインから始められる。

新しい教科の英語を一生懸命勉強して得意科目にするんだと思っていたのを今でもよく覚えています。

一学期始まってすぐ、スペルが覚えられないことに焦って自宅でも一生懸命勉強していた気がしますが…

一学期の中間試験を前に教科担任から「自分の名前を英語で書く」というサービス問題を出すという話をクラス全体にされます。

他の単語のスペルは覚えられないけど、せめてもと自分の名前のスペルを覚えようと必死になりました

結果、試験では

自分の名前を英語で書けなかった

このことに関して、教科担任から個別に呼び出され説教をされます。
自分としては、覚えようと努力したと弁解しましたが、聞き入れられず。英語の教科担任がクラス担任でもあったため、三者面談でも、このことを親に告げられ、親にも同じ弁解をするも「こんなもん覚えられないわけないだろ!」との説教を受け…まぁ試験何週間か前に告知された自分の名前のスペル覚えるなんて課題、覚えられないわけないと考えるのが普通ですけどね。

ここで「英語は自分には向かないんだ」と割り切ってしまえば他の教科と同じ「苦手」なだけですんで今ほどの英語アレルギーになることも無かったんでしょうが…

そんな感じで、中1を終える頃には英語は他の教科と同じように落ちこぼれていたんですが、中1の終わり頃の自分は、以前書いた出来事のおかげで、自分はやれば出来る子なんじゃないか?と密かに自信をつけだした時期でもあります。

そこで中2の初めから

親に頼んで学習塾に通い出す

個別指導塾で英数国の主要3科目だったと思います。

数学は下地が出来ていたのでメキメキと実力を伸ばしましたが、英語と国語は基本のスペルや漢字を覚えていないのに学校の教科を元にした学習プログラムについていけるはずもなく…

国語を担当した塾講師のことはよく覚えてないのですが、英語を担当してくれた塾講師はよく自分に「お前はやれば出来るんだから、もうちょっと頑張れ」ということを口癖のように言っていました。

そして中2の夏休みに入る直前、中1で習う全ての単語をランダムに書いた紙を渡され、夏休み中に全部英訳できるようになれと課題を出されます。
(夏期講座は別の講師が担当でした)

夏休み中、必死に英語訳を覚えようと努力しました。

そして夏休み明け、講師に覚えられたかと問われ頑張ってみたけど駄目でしたと報告の後、実際に英訳がどれくらい出来るかのテストを受けました。

最初の2・3語しか英訳できなかったと記憶しています。

その結果から講師は

「何で勉強しなかったならしなかったと最初から言わないんだ!」「何が頑張りましたけど…だよ。言い訳すんな!」「お前は数学ができるってことは頭はいいんだから、少しでもやる気を出せば英語なんて簡単に覚えられるに決まってるんだ!」「もういい!そこまでやる気ないんだったら俺はお前の担当外れる!」

目に涙を浮かべながら大説教大会です。

本当に講師は心から私のことを思って言ってくれたんだと思います

自分としては本当に必死に頑張った結果ほとんど覚えられなかったんですが、講師にとっては言い訳にしか思えなかったんでしょう。

自分としては何より信頼してくれた講師の期待に答えられなかった、信頼を裏切ってしまったことが何より自分は辛かった。


それ以降も細々とした失敗を重ねた結果、英語を前にすると、自分が何も出来ない人間なんじゃないかと不安になってしまうようになり。今の英語アレルギーの自分が出来上がりました。

勘違いしないで頂きたいのは、英語の教科担任や塾講師を恨むつもりは一切ありません、教科担任も塾講師も数学の恩師と同じように私の可能性を信じてくれての言動ですから、これらの出来事は

不幸な事故

だと思っています。私自身当時、自分が書字障害だと知りませんでしたし、当然、教科担任、塾講師、親も知らないのですから。

あと理由は分かりませんが、今振り返ると英語のスペルを覚えようとそこに固執していたように感じます。

誰の得にもならない話を長々お読みくださりありがとうございました。

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